『聖經--台語漢字本』の改訂出版について
(教会ローマ字は便宜上変則的に書きなおしている)

Last update 2002/05/29

王順隆

 聖書はほとんどの人にとっては宗教の経典であるが、言語学の研究者にとっては貴重な研究対象と言える。特に、十九世紀以降に西洋人によって中国の各方言に訳された多くの「聖經」は漢語方言資料の宝庫である。だが周知のように、漢字によって方言を表記するためには難題が多く、その上、当時中国一般人の識字率は極めて低かったため、西洋人は漢字を採用せず、自分の得意な表音文字を使って、各方言の音韻体系に合わせた「教会ローマ字」というものを考案し、それを聖書の翻訳に当てた。閩南語厦門音の『(Seng)(keng)』はそうした事情を克服して生み出された偉大なる成果の一つである。

 一八四二年阿片戦争後、西洋人の宣教師が厦門に入り布教を始めた。彼らはまず現地の言葉を学び、辞書を編纂し、聖書を閩南語に訳した。(実際はその前に東南アジアで福建出身の華僑を対象とした翻訳の試みが始まっていた)閩南語に限っただけで少なくとも一八五二年、一八七二年、一九〇〇年に聖書の一部の試作が出版され、他の方言のローマ字聖書も多数存在していることから、教会ローマ字はかなり発達していた。

 一八九〇年、台湾の南部で活動しいていたThomas Barclay(巴克禮牧師)が新閩南語聖書の翻訳委員に任命された。巴氏はヘブル語と古代ギリシャ語の聖書を直接厦門口語(台湾語ではない)に訳し、新約を一九一五年、旧約を一九三〇年にそれぞれ完成した。この教会ローマ字の完訳版聖書はその後主に台湾の長老派信者らの間で使われてきたが、実際の発行部数や使用状況については不明である。

 そもそも信者は多くないし、実際に信者全員が教会ローマ字をマスターしているかどうかも疑問である。特に、戦後台湾では「国語」の普及と識字率の向上のために、教会ローマ字を日常的に使用する人はますます減った。その原因として、信者、特に教育水準の高い信者の馴染み薄い教会ローマ字に対する抵抗感が強いということが考えられる。つまり、漢字を習得していない人にとって表音文字は短時間で読み書きをマスターするのに最高の道具であるが、漢字に慣れてしまった人にとっては改めてこれを習うのは面倒なのである。九十年代になって、教会関係者もその点に気付いたようだ。

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 「聖なる言葉」を絶対に変えてはならないので、聖書の歴史は翻訳の歴史と言っても過言ではない。聖書は世界中で最も多くの言語に翻訳された書物であり、同一言語の聖書でも数十年おきにより多くの人が理解できるように文体や表現を変え、度々改訂を行っている。更に、聖書協会の委任を得ずに独自に翻訳したものも数知れない。日本で最初の和訳聖書とされている『約翰福音之伝』(一八三七)も、当時数多く存在した試作品なかのひとつに過ぎない。集団による最初の公式な翻訳は一八八〇年と一八八八年に出版された「合同訳」の『新・旧約聖書』だが、中国の漢訳本聖書を参照したものだった。その後、一九一七年に改訳委員会によって『大正訳文語聖書』が上梓され、一九五四、五五年と続いて日本聖書協会が口語訳の聖書を新たに完成させた。更に、一九七〇年に福音派がまた独自に「改訂訳聖書」を出し、一九七九年に宗教間協調運動の波に乗って、カトリックとプロテスタントとの共同訳『新約聖書』が誕生したが、同『旧約聖書』は未だに完成していない。

 このように、日本に於いても聖書は数十年おきに改訂され、文語から口語へと変化していく傾向がある。この流れは聖書の本来の目的を達成するために必然の趨勢であろう。

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 一九九〇年代、台湾の「聖經公會」が数十年ぶりに台湾語聖書の改訂に乗り出した。この新しい聖書は実にユニークなもので、じっくりと吟味する価値がある。

 『聖經-台語漢字本』出版の背景には近年来の台湾における母語意識再建運動との深い関係がある。台湾語で布教する教会関係者らはこの波に乗り遅れまいと奮起したが、実は教会の中もすでに母語の危機に瀕しているのである。日曜の礼拝時、聴く側の信者はもとより、伝道する側の牧師までが北京語版の聖書を手にし、書かれている北京語を台湾語に直して教えを講じる光景がよく見られる。結局、神聖なるべき聖書の言葉が牧師ごとに、また礼拝の度に、創られることになるわけである。これは神に対する冒涜だ。

 なぜ「教会ローマ字」は最も伝統が長く、文献資料の多いものだと自負してきた長老派の関係者らが原典の厦門音聖書を読まず、敵視してきた官話の聖書を改訳して布教活動をせざるを得ないのか。最大の原因は戦後に育てられた聖職者が、例えそれが『Seng3-keng1』であろうと、もはや教会ローマ字を読もうとしない、と言うよりも、読めないことであろう。

 このような忌々しい現象を正すために、厦門音ローマ字聖書の改訂が始まった。まず、役割を終えた表音文字の廃止が決定され、ついで翻訳の大幅な改訂が議論された。表音文字廃止の原因については先に述べたが、翻訳のやり直しについてはもう少し説明を付け加えたい。

 巴克禮が以前に聖書を閩南語に翻訳したとき、閩南の中心である厦門の発音と表現を基準にした。六十年以上の時代差と台湾海峡を隔てる地域差によって、『Seng3-keng1』に使われていた閩南語彙の一部は台湾人にとって不可解で違和感のあるものだった。例えば、『Seng3-keng1』の中で「女の人」を「hu7-jin5-lang5」、「賛美する」を「o1-lo2」、「愛する」を「thiaN3」と統一して表現している。これらの言葉を恐らく一般の台湾人は信者と同じように理解していない。また、その文章も決して流暢とは言えない。このように、聖書の言葉を理解するのに支障が起きると、聖書本来の機能がうまく発揮できないので、『Seng3-keng1』の翻訳をやり直す時期に来ているという声があがった。

 しかし、一九九六年に誕生した新版『聖經』は、「台語漢字本」というサブタイトルが付けられ、内容も訳語を変えずにただ元のローマ字一音節毎に漢字を当てただけだった。すなわち、改訂はあくまでも文字の書直しに限ったものとなったわけである。「台語漢字本」の序言を見ると、聖書改訳の大変さが強調され、時間と予算の関係で改訳案が先送りされたことが述べられている。だが改訳は依然必要なわけで、改訳の試みはひそかに行われている。インターネットで聖經のサイトを検索してみると、台湾長老派の聖書新訳委員の一人が試作を公開している。参考に各版「創世記」の冒頭の部分を比較してみる:

華語版聖經:起初神創造天地。地是空虚混沌, 淵面黑暗。
厦門音聖經Goan5-khi2-thau5 Siong7-te3 chhong3-cho7 thiN1 kap4 toe7. Toe7 si7 khang1-khang1 hun7-tun7; chhim1-ian1 e5 bin7-chiuN7 ou1-am3.
台語漢字本:源起頭, 上帝創造天及地。地是空空混沌, 深淵的面上黒暗。
台語新訳文:一切事物ee起源,在ti上帝創造宇宙萬物。起頭ee時,地是空虚混沌,深淵黑暗。

 「厦門音聖經」と「台語漢字本」とは表記こそ異なっているが、文言は全く同じである。それに対して、「新訳文」のほうが幾分わかり易い。改訳の有効性を示す一例である。ところが関係者によると、「台語漢字本」が正式出版されたからには暫く新たな修訂版を見るのは難しいだろうとのことである。

 今回の改訂によって一つ重大なことが分かた。それは、教会ローマ字が布教の障害になっていることから、教会関係者自ら教会ローマ字の時代的使命が終わったと宣言し、文字としての機能を否定したことである。教会ローマ字擁護者の大本営--台湾長老教会もついに軌道修正を余儀なくされたのである。

 「台語漢字本」が出版されて三年が経った。発行部数は上々のようだが、新聖書に対して信者の評判はまちまちだった。最大の不満はやはり閩南語の漢字表記にある。せっかく漢字に直したのに、その漢字の読み方が分からないという。先程の「女の人」、「賛美する」、「愛する」をそれぞれ「婦仁人」、「謳咾」、「疼」の漢字に当てている。当て字も訓読字も、いわゆる本字もあって、あらゆる手を使って漢字表記している。確かに編纂者の用字習慣を把握するには、逆に底本のローマ字聖書を参照しながら学習していかなければならないが、これは一時的な不慣れで、十年、二十年も我慢して使っていれば、少なくとも信者の間には自然に普及していくだろう。又、厄介なことに、内部の者でさえもこの漢字本の用字に対する異見を唱えている。「自分の主張は絶対的だ」と。まさに今日の台湾における母語復興運動が直面している問題と同じだ。もし「聖經公會」が反対意見に振り回されて、これらに一々対応し修訂していくとすれば、『台語漢字本』は永久に定着し得ないであろう。

 聖書改訳の作業にからむ諸事情を通して、現代の台湾における言語現象を観察してみた。私自身はキリスト信者でないし、尚且つ聖書を通読してもいないのだが、聖書改訂のに隠されている事情には大変興味を持っている。