S&G 二人の背景
Ver 3.31

何が彼らを育み、何が彼らに影響を与え、何が彼らを形成したかについて。

『 アメリカ 』
『戦争』
『ユダヤ人』
『公民権運動』
『ロックンロール』
『野球』
『映画』
『 アメリカ 』
1492年8月3日にスペインのパロス港を出航したコロンブス( Christpher Colombus 1451-1506 ) は、10月12日未明に新大陸の西インド諸島を発見。
1607年、最初のイギリス人がアメリカのバージニアに移住を開始。そして1620年、信仰や教えに反発しイギリス国教会を離れたイギリスの分離派 ( ピルグリム・ファーザーズ - Pilgrim Fathers )が宗教の自由を求め、 メイフラワー号( Mayflower ) に乗ってアメリカに到着。マサチューセッツに新しい定住地を作り上げる。リーダーたちは独自の政府を持ち、新天地に関する法律などを定めたメイフラワー誓約( Mayflower Compact )を締結。この誓約はアメリカで成文化された最初の憲法といえるものとなった。
アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.の正式名称は、" Washington, District of Colombia " - ワシントン、コロンビア特別区。初代大統領ジョージ・ワシントンとアメリカ大陸発見者コロンブスの2人の名前が含まれている。
この大陸をアジア大陸と思って上陸したのはコロンブスであるが、ここを新大陸と実証したのは、アメリゴ・ベスプッチ。ここからこの大陸に アメリカ ( America ) という名前がつく。
<参考文献:Microsoft Encarta Encyclopedia "アメリカ">
そう、アメリカは正に移民の国である。
そして、1969年7月21日、移民の国アメリカは人類を初めて月に送り込む。
1991年9月11日、同時多発テロ。
悲しいかな。依然としてアメリカは銃社会である。
第二次世界大戦以降、世界を牽引してきたのは、先進国といわれる国、特にアメリカである。
アメリカ人の心の奥深くには、アメリカ大陸を開拓し、人類を月に送り込むまでにいたった、いわゆる開拓精神(フロンティア・スピリット)が存在する。
正義を主張しながら世界を牽引し、世界と協調しようとしているアメリカはそれゆえ今、新たな混沌の時代を迎えている。
「アメリカ人という定義を考えるといやな気持ちになる。この定義はみんなが平等じゃない。少数民族を含んでいないんだよ。」(ポール - " Paul Simon Solo ")
S&Gは、この地で生まれ、この地で育った。
They've all come to look for America
(彼らはアメリカを探しにきた)
All come to look for America
(みんなアメリカを探しにきた)
・・・ " America "<アメリカ>
We come on the ship they call the Mayflower
(僕たちはメイフラワーという名の船に乗り)
We come on the ship that sailed the moon
(僕たちは月へ向かう船に乗っている)
We come in the ages most uncertain hour
(そして、僕たちは不確実な時間の連鎖を生きている)
・・・ " American Tune "<アメリカの歌>
『戦争』
1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻により、ヨーロッパ戦争として第二次世界大戦が開戦。
1941年12月7日(日本時間では8日)早朝、日本海軍がハワイ州オアフ島の南岸の真珠湾を攻撃。これにより太平洋戦争が開戦。
この開戦の直前、ポール ( Paul Frederick Simon ) は、1941年10月13日に生まれる。そしてアート ( Arthur Ira Garfunkel ) は、同じく11月5日に生まれる。
世相を考えると幼子を抱える周囲の心中が、決して穏やかでなかったのは推して知るべしであろう。
そして、二人が物心がつくかつかないかの3歳の夏、第二次世界大戦は終戦を迎える。
それでも再び戦争が始まる。1954〜75年(S&G、13〜34歳)の約20年間にわたるベトナム戦争である。
And the war rages on in a land called " Somewhere "
(『どこか』という名の国で戦禍が広がっている)
And Generals order their men to kill
(司令官は命令する 『あいつらをやっつけろ』と)
・・・ " The Side Of A Hill "<ザ・サイド・オブ・ア・ヒル>
Ah,and I remember
(ああ、覚えていることは)
Misinformation followed us
(僕たちに誤報ばかりがついて回っていたってこと)
Like a plague
(まるで疫病みたいに)
Nobody knew from time to time
(誰も知っちゃいなかった)
If the plans were changed
(計画が変わっていたなんて)
・・・ " Peace Like A River " <平和の流れる街>
『ユダヤ人』
ユダヤ人とは、紀元前四世紀頃から発達しモーセの律法を基に唯一神ヤハウェを信奉するユダヤ教を信仰する人々のこと。ユダヤ教の主要聖典は旧約聖書とタルムード。神の啓示により カナン の地(現パレスチナ)を定住の地としていた。ユダヤ教にとって、 エルサレム は古代イスラエル王国の首都であった場所。ローマ帝国によるエルサレム破壊後、離散はより拡大。キリスト教徒による社会的差別を受ける。ユダヤ人を神の選民と自覚し、イエスを救い主と認めず、キリスト教と対立。
現代のユダヤ人は、ひとつの人種というよりも、独立したひとつの民族的共同体または同胞集団である。ユダヤ教は、ユダヤ人の生活のあらゆる局面を支配しており、ユダヤ人は教育と学問を尊重し、熱意をもってそれに取り組む。
<参考文献:Microsoft Encarta Encyclopedia "ユダヤ人">
ヤダヤ人は、全世界で約1300万人。世界の人口の約0.2パーセントにあたる。アメリカに住むユダヤ人はこの内、約500万人。
これまでのノーベル賞受賞者の三分の一がユダヤ人。様々な分野で超一流の人材を輩出している。
ポールは、長年ラジオ局のオーケストラのベース奏者の父とユダヤ人として宗教活動に熱心だった母の元に生まれる。ポールの一家は後にニューヨーク州のクイーンズへ移住。
ポールとアートの二人は1947年に第164小学校に入学。二人が出会ったのは二人が小学校4年生の10歳のとき。二人はお互いユダヤ人であり両親が宗教活動に熱心だったこともありいっしょにヘブライ学校に通っていたが、若者の二人は、ユダヤ教の厳格な環境に反発していたという。そして、コーラスで歌うことを楽しみにしていたポールは15才のときユダヤ教会に通うことをやめてしまう。
「どう考えてもユダヤ人として行動しなければならない理由が分からなかった。どうして普通のアメリカ人として呼吸しちゃいけないんだろうと思っていた。」(ポール)
I've heard a church bell softly chime
(教会の鐘がやさしく鳴り響いていた)
In a melody sustainin'
(とめどない旋律の中で)
It's a long road to Canaan on Bleecker Street
(ブリーカーストリートからカナンまでは長い道のり)
・・・ " Bleecker Street "<霧のブリーカー街>
Silent eyes
(もの言わぬ目)
Watching Jurusalem make her bed of stone
(石でできた床をとるエルサレムを見つめる)
Silent eyes
(もの言わぬ目)
No one will comfort her
(誰もエルサレムを慰めることができない)
Jerusalem weeps alone
(エルサレムは一人で泣いている)
・・・ " Silent Eyes "<もの言わぬ目>
彼らは、当初いかにもユダヤ人という、" Simon and Garfunkel " (サイモン&ガーファンクル)というグループ名を使うことを嫌がっていた。この名前を使うことによる周囲のバッシングを恐れていたのである。同じユダヤ人のボブ・ディランでさえ " Robert Allen Zimmerman " (ロバート・A・ジマーマン)という本名を隠していた。
S&Gが生まれた太平洋戦争開戦の1941年頃から1944年頃の、ユダヤ人の家庭や周囲を流れる音楽については、映画 『 ラジオ・デイズ 』 ( " Radio Days " - 製作 1987年、監督・脚本 ウディ・アレン、音楽 ディック・ハイマン )で窺い知ることができる。
『公民権運動』
公民権運動とは、アメリカ国内において黒人や他の少数派勢力が教育・雇用・選挙などさまざまな分野における差別に抗議し、白人と同等の権利を求めた一連の運動のこと。
公立学校における人種差別に対する1954年のブラウン判決や、1964〜65年の公民権法制定など法的には若干の進展を見せたものの事実上の差別は消えなかったため、1960年代に入ると法の下の平等を求める運動が活発化した。
1955年(S&G13歳)、米国南東部アラバマ州の州都モンゴメリーで、黒人女性が白人乗客に座席をゆずるのをこばみ逮捕されたのをきっかけに、この差別的座席制に抗議して非暴力によるバス・ボイコット運動を組織。この運動を指揮した黒人牧師 " Martin Luther King Jr. " (マーティン・ルーサー・キング・ジュニア - キング牧師 - 1929〜1968年) を指導者として、公民権運動は一気に全国に拡大する。
結果、非暴力直接行動の勝利で、キング牧師 は公民権運動の指導者として注目されることになった。
これらの示威行動を " freedom ride " (フリーダムライド)、この行動者を " freedom rider " (フリーダムライダー)と呼んだ。
1963年(S&G21歳)、指導者キング牧師が25万人のデモ隊とともにワシントンまで大行進をする。公民権運動はピークを迎える。
1965年の夏(S&G23歳)、公民権運動に参加していたポールの大学時代の親友アンドリュー・グッドマンらが殺害される。
ポールは大きなショックを受け " He Was My Brother "<私の兄弟>を書き上げる。
この頃、黒人の集まる多くの教会が焼き討ちにあう。
1968年(S&G26歳)、キング牧師が凶弾に倒れる。
He was my brother
(彼は私の兄弟でした)
Tears can't bring him back to me
(涙は彼を返してはくれません)
He was my brother
(彼は私の兄弟でした)
And he died so his brothers could be free
(彼は私たち兄弟が自由になるために死んだのです)
・・・ " He Was My Brother "<私の兄弟>
" You can burn down my church but I shall be freee "
(教会が焼け落ちても僕は自由であり続けるだろう)
・・・ " A Church Is Burning " <教会は燃えている>
当時、体制を批判し公民権運動を支持する、こうしたプロテスト・ソングは数多い。
現在の若者に単なる " 風流な歌 " と誤解されやすいボブ・ディランの " Blowin' in the wind " <風に吹かれて> (後に " PPM (ピーター・ポール&マリー) "によりカバーされて大ヒット) も 『 議論が風のように舞い上がっている状態 』を風刺した曲と言われている。
『ロックンロール』
「当時(1952年-S&G11歳)、ニューヨークでアラン・フリード ( Allan Freed ) というDJが『ムーン・ドッグ・ショー』( " Moon Dog Show " )という番組をやっていた。番組のタイトルはマンハッタンにいた有名な乞食の名前から来ている。ある日、裁判所からの命令で番組名を変えることになったんだ。そこで彼は、『アラン・フリードのロックンロール・パーティー』( " Allan Freed's Rock'n'Roll Party " )にしようってことにした。この時、初めて 『ロックンロール』 という言葉がこの世に生まれたんだ。それ以降、カントリー、ブルース、デュワップといった音楽すべてロックというようになった。」 (ポール - " Paul Simon Solo ")
セックスを意味するスラング " rock and roll " にヒントを得てアラン・フリードがこれらの曲を、 " rock'n'roll " と呼んで紹介したのがその起源という。
この時代、アメリカではまだ人種差別の意識が強く、白人がR&Bなどロックンロールの原点となった黒人の音楽に手を出すなどということはありえなかった。
そういう中、白人がロックンロールを歌い、大きなビジネスへと展開させ、白人と黒人の若者たちが同じ音楽を楽しむということはそれまでの慣習を大きく打ち破るものであった。
つまり当時、アメリカ社会で蔑視されがちだった人種的・社会的差別に対するムーブメントの一つが" ロックンロール "でもあったのである。
その中心が、" キング・オブ・ロックンロール - エルヴィス・プレスリー " の存在であり、ポールにとってプレスリーは多くの若者同様、アイドルであった。
ポールが13歳のとき、処女作 " The Girl For Me " を書く。
そして、1954年(S&G15歳)、ポールは買い物中の両親を待つカーラジオで、4歳年上のエルビス・プレスリーの曲、 " That's All Right Mama " を初めて聴く。
他の若者同様、ポールはエルビスに夢中になった。
「僕がギターを始めたのは、プレスリーのようになりたかったからだ。」(ポール)
「僕は、憧れのエルヴィスが着ていたラベンダー色のシャツが欲しくてニューヨーク中を探し回ったことがある。」(ポール)
" I'm going to Graceland "
(僕はグレイスランドへ向かっている)
" Graceland in Memphis Tennessee "
(テネシー州メンフィスのグレイスランド)
" I'm going to Graceland "
(僕はグレイスランドへ向かってるんだ)
・・・ " Graceland " <グレイスランド>
こうしてロックン・ロールがアメリカを席巻。エルビス・プレスリーを始めとするロックン・ローラーたちの曲がヒット・チャートを賑わせていた。
「二人は勿論ロックンロールに夢中になりロックンローラーの名付け親WINS放送のDJアラン・フリードのロックンロール番組に夢中。50年代の始め頃からカントリー&ウエスタンに代わってロックンロールの前身のリズム&ブルースや、黒人向けの放送局を通じて流したゴスペル、黒人がやっていたアカペラも耳にして育ったに違いない。」
<MUSIC LIFE 1973年9月号 『ここから始まるS&Gの世界』(小倉エージ氏)>
1957年(S&G15歳)、二人は、 " Tom & Jerry " (トム&ジェリー)として、" Big Records " (ビッグ・レコード)から " Hey,Schoolgirl " (ヘイ・スクールガール)をビッグヒットさせる。
1950年代、" Hudson River " と " East River " (イーストリバー ) に挟まれたニューヨークにフォーク・シーンの聖地があった。
" Broadway " (ブロードウエイ)の南にある " Greenich Village " (グリニッチ・ビレッジ)、とりわけ" Bleecker Street " (ブリーカー・ストリート) と " Macdougal Street " (マクデューガル・ストリート)が交わった一帯である。
ポールとアートだけでなく、ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリー、レナード・コーエンなど若手フォークのシンガーたちは毎晩ここで歌っていたという。
S&Gは、当時のデュワップを今でもアルバムやコンサートでカバーしている。
"I Only Have Eyes For You " <瞳は君ゆえに>- The Flamingos 、 "One Summer Night "<ワン・サマー・ナイト> - The Danleers ・・・など。
" They dance with the light of the moon "
(彼らは月の光の中でダンスをしている)
"To The Penguins , The Moonglows , The Orioles and The Five Satins"
(ペンギンズ、ムーングロウズ、オリオールズ、そしてファイブ・サテンズの曲に乗って)
・・・ " Rene and Georgette Magritte With Their Dog After the War "
<犬を連れたルネとジョルジェット>
この頃、アメリカの若者の風俗や周囲を流れるロックンロールは、1955年(S&G14歳)については映画 『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』 ( " Back to the Future " - 製作1985年、監督ロバート・ゼメキス ) で、1959年(S&G18歳)については映画 『 スタンド・バイ・ミー 』 ( " Stand by Me " - 製作1986年、監督ロブ・ライナー、原作スティーヴン・キング ) で、1962年(S&G21歳)については映画 『 アメリカン・グラフィティ 』 ( " American Graffiti " - 製作1973年、監督ジョージ・ルーカス) で窺い知ることができる。
『野球』
アメリカン・フットボール、バスケットボール、アイス・ホッケーと並びアメリカの国技といわれる野球。
アメリカ史上最大の戦争である「南北戦争」が終結した4年後の1869年、初のプロチーム「シンナティ・レッドストッキングス」(レッズ)が誕生。
1876年、8球団で「ナショナル・リーグ」(ナ・リーグ)が発足。1901年、同じく8球団で「アメリカン・リーグ」(ア・リーグ)が発足。
1947年、公民権運動の成果の一つとして、それまで白人のみだった大リーグに黒人選手のジャッキー・ロビンソンを登用。
そして、ジョー・ディマジオ、ジャッキー・ロビンソン、ハンク・アーロン、ピート・ローズといった名プレーヤーたちが、S&Gの少年時代から活躍していた。
アートの1988年のアルバム " LEFTY "<レフティー>には、バットを構えポーズをとる小さい頃のアートの写真。
現在の日本の子供たち同様、S&Gの二人もかつては野球少年だったという。
そして、ポールの主演映画 " One-trick Pony "<ワントリック・ポニー> には、息子とキャッチボールをするジョナ役のポールの映像。
これらの写真や映像から、S&Gは二人とも " LEFTY "(左利き)であることが分かる。
ポールのファン球団は、ニューヨーク・ヤンキースと阪神タイガース。阪神タイガースについては来日したときに目にしてすっかりファンになったという。
両球団の帽子をかぶったポールの写真や映像もよく目にする。
そして、TV「夜のヒットスタジオデラックス」(1987年4月15日放送)で衛星生出演し、阪神タイガースのファンであることを公言したポールに対して当時の阪神タイガースのメンバーがサインを贈っている。
" Where have you gone , Joe DiMaggio ? "
(どこに行ってしまったんだい、ジョー・ディマジオ)
" A nation turns its lonely eye to you "
(国中が寂しがってるよ)
・・・ " Mrs.Robinson " <ミセス・ロビンソン>
" There were two men down "
(試合はツーアウト)
" And the score tied "
(そして同点)
" In the bottom of the eighth "
(それは8回の裏だった)
" When the pitcher died "
(そのときピッチャーがやられた)
・・・ " Night Game " <ナイト・ゲーム>
第二次世界大戦、戦争に駆り出されていった男性に代わって多くの女性が労働市場に進出していった。
プロ野球も正にそうだった。「メジャー・リーグ」に代わって「オール・アメリカン・ガールズ・ベースボール・リーグ」が1943年(S&G 1歳)に誕生する。
映画 『 プリティ・リーグ 』 ( "A League of Their Own " - 製作1986年、監督 ペニー・マーシャル、出演 トム・ハンクス/マドンナ/ジーナ・デイヴィス/ロリ・ペティ 他 ) でそのときの様子や当時の音楽(アートが、 " Two Sleepy People " をカバー)で時代背景を窺い知ることができる。
サントラCD 『 プリティ・リーグ 』 については、『 あにまーと/サウンドトラック館 』 でも紹介しております。
『映画』
1880年代、アメリカの発明家エジソンのアシスタントであるウィリアム・ディクソンが、のぞき眼鏡式のキネトスコープを最初に考案。そして、ディクソンは今日使用されているフィルムを動かす歯車式機構を考案した。
1902年、フランスの奇術師ジョルジュ・メリエスは、彼の名を歴史に残したトリック映画「月世界旅行」を製作。
S&Gが誕生した頃の1940年、ラジオ界出身のオーソン・ウェルズが映画作家、脚本家、監督、俳優としてハリウッドに進出。「市民ケーン」(1941年)、「偉大なるアンバーソン家の人々」(1942年)は、独特のカメラ・アングルや音響効果で新たなトーキーの世界を築き、それ以降の世界中の作品に大きな影響を与える。
<参考文献:Microsoft Encarta Encyclopedia "映画">
S&Gは、マイク・ニコルズ監督の映画 " The Graduate "<卒業> ( 1967年 ) に曲を提供。
二人はこの頃から、映画音楽、つまりサウンド・トラックの世界、そして映像の世界、つまり映画の世界に興味を示していく。
そして、アートはS&G解散の大きな要因となったマイク・ニコルズ監督の新作 " Catch-22 "<キャッチ22> ( 1970年 ) に出演。俳優としての道も歩み始める。
<S&Gの主な関連作品>
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" The Graduate "
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<卒業>
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1967年
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S&G、音楽。
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" Catch-22 "
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<キャッチ22>
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1970年
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アート、共演。
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" Carnal Knowledge "
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<愛の狩人>
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1971年
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アート、共演。
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" SHAMPOO "
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<シャンプー>
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1975年
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ポール、音楽。
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" ANNIE HALL "
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<アニー・ホール>
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1977年
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ポール、共演。
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" BAD TIMING "
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<ジェラシー>
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1979年
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アート、主演。
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" One-trick Pony "
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<ワントリック・ポニー>
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1980年
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ポール、主演・脚本・音楽。
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" SHORT FUSE "
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<ソウルビート・ストリート>
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1986年
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アート、主演。
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" Boxing Helena "
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<ボクシング・ヘレナ>
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1993年
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アート、共演。
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" I got a Nikon camera "
(ニコンのカメラを持ってるんだ)
I love to take a photograph
(写真を撮るのが大好きさ)
・・・ " Kodachrome " <僕のコダクローム>
She said, I'll only be gone for a while
(母さんが言ったんだ。『すぐに戻ってくるからね。』)
My mother loved to leave in style
(母さんは別れ方にも『こだわり』があった)
That's why God made the movies
(かくして神は映画を創りたもうた)
・・・ " That's Why God Made The Movies " <神はいかにして映画を創りたもうたか>
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