グァテマラの北部ペテン県の(亜)熱帯ジャングル地帯に位置するティカル(世界複合遺産)は、最盛期のマヤ文明(古典期マヤ文明)の中心都市の一つであり、往時は100〜120平方キロの政治的領域を有し、6万とも10万とも言われる人々が居住していた古代都市遺跡である。碑文記録の上では、紀元1世紀頃から10世紀頃まで少なくとも33人の支配者の存在が確認されている。測量地図の作られた16平方キロの範囲だけで3000を超える建造物址が記録されているが、ジャングルの中の建造物址の確認は極めて困難なことから、環濠と土塁によって囲まれていたと思われる100〜120平方キロの範囲に、いったいいくつの建造物が存在したのかは推測する以外にない。
ティカルは、道路がなければ到達するのに困難で過酷な立地条件にあるため、正式な発見が1848年と他の著名なマヤ遺跡に比べて遅いのも特徴の一つである。1848年といえば、すでにコパン、キリグア、パレンケ、ウシュマル、チチェン・イツァといった著名なマヤ文明の世界遺産が、スティーブンスとキャザウッドのコンビによって欧米世界に報告されており、彼らの『中米・チアパス・ユカタンの旅―マヤ遺跡探索行1839〜40』が識者に広く読まれ、ベストセラーとなっていた頃である。近年、この本はグァテマラ在住の児嶋桂子さんのすばらしい邦訳と共に上下2巻本として出版されたので、是非、読んでみていただきたい。
| 書名: | 中米・チアパス・ユカタンの旅 ―マヤ遺跡探索行1839〜40 |
| 著者: | ジョン・ロイド スティーブンズ |
| 原著: | John L. Stephens |
| 翻訳: | 児嶋 桂子 |
| 出版社: | 人文書院 |
| 価格: | 上巻:6,090円、下巻:6,090円 |

図1:1号神殿ピラミッド(撮影:中村 誠一)
ティカルという遺跡の名前は、マヤ文明の研究を志している人間にとっては特別な響きをもっている。ティカルは、必ず一度は現地に立って、高い神殿ピラミッドを仰ぎ見なければならない聖なる巡礼地のような存在でもある。また、私のような世代の研究者が学生の頃には、マヤ遺跡地図作製法、マヤ遺跡の発掘法、遺物分析法、建造物修復法など、マヤ考古学の様々な標準を確立した遺跡として、ティカルプロジェクトの調査研究成果が、いろいろなマヤ関係の論文や文献の中心を占めていたと記憶している。
ティカルの魅力の一端は、なんといっても生物多様性を保持した雄大なジャングルとそこに廃墟としてたたずむ神殿ピラミッドのような古代建造物群のコントラストだろう。「失われた文明」という言葉を髣髴とさせるこの神秘的なイメージは、現在に至るまで一般の人たちのマヤ文明に対するイメージに根強く反映されている。ティカルは、長年親しんで来たコパンとは対照的な遺跡である。「ティカルをニューヨークとすれば、コパンはパリである」といった人もいたが、確かにティカルはコパンに比べて威圧的である。このティカルに関して、二つのトピックスを紹介したい。一つは、日本の無償資金協力によるティカル保存・調査研究センター(Centro de Conservación e Investigación en Tikal)の建設に関してであり、二つ目は、4月1日からいよいよ正式に開始されたティカル調査に関してである。
ティカル保存・調査研究センターの事業に関しては、雑誌『チャスキ』にも取り上げられている(桜井敏浩「グアテマラティカル遺跡訪問−遺跡保存のための日本の協力」『チャスキ』 No.44、2011)。外務省やJICAが管轄する開発途上国への政府開発援助(ODA)の中核事業の一つが、無償資金協力であることはよく知られているが、かつては研究センター、博物館といった大きな建物を現地に建設しようとする文化的事業は、文化無償資金協力ではとうてい不可能で、通常は、各国とも上限5,000万円程度の機材供与案件が定番であった。20年以上たって、文化無償資金協力でも、やっと正論が理解されれば大きな案件もできるようになったのは好ましいことだが、ティカルのセンター案件に7年もかかってしまった。センターは2012年7月頃には完成する予定だが、重要なのはこれからである。
強固な労働組合によって、中間管理職までその雇用を守られているホンジュラスと違い、グァテマラでは4年で政権交代が行われると、ほとんどの職員・研究員が交代するのが常である。先日2012年1月14日に行われた新政権の誕生から、すでに人員交代を巡る混乱が見られる。1992年からティカルを中心に活動を展開してきた旧宗主国であるスペインの開発庁プロジェクトも、虎視淡々とこのセンターの利用を見込んでいるに違いない。このセンターはティカルに建設しているが、中心からマヤ地域全域を見据えた広域センターでもある。そのため、今後、マヤ遺跡を有する隣国との連携や広域案件の形成が重要となってくる。センターの主要目的は、日本とグァテマラを初めとするマヤ地域各国の文化遺産を巡る共同研究と人的・学術的交流、それを通したグァテマラを初めとするマヤ地域各国と我が国自身の人材育成であるから、少なくともそのセンターの維持管理を担当するグァテマラ側人員には職務上の継続性が求められるのである。
その意味で、今後のセンター事業展開の一助となりそうなのが、ティカル調査に本腰をいれようとしている金沢大学である。私もそれに呼応して4月1日より金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターへ異動した。金沢大学では、2010年10月にグァテマラ文化スポーツ省と交流意向書(Carta de Intenciones)を締結しマヤ地域への進出を模索しはじめ、2011年6月に大学の公式訪問団がグァテマラを訪問、交流協定書やティカルにおけるプロジェクト実施のための覚書を締結した。そして、グァテマラ文化スポーツ大臣の金沢大学訪問や講演会の実施等を経て、このたびティカルにおける考古学プロジェクト実施の正式許可をグァテマラ政府より取得した。外国の一大学がマヤ文明の聖都でありグァテマラの象徴でもあるティカルの調査権を得たことは1956〜1969年のティカルプロジェクトを遂行したペンシルバニア大学以来のことであり、特筆すべきことである。
プロジェクトには、上記センターの一部やティカル国立公園内のその他の施設3つも貸与される。大学側の実施主体は、私が異動した国際文化資源学研究センターの形態文化資源部門である。大学生、大学院生のティカルでのフィールド実習や長期派遣も視野にいれる。他大学の院生でも受け入れを計画している。隣国ホンジュラスのコパン考古学プロジェクト(PROARCO)時代から調査に参加している大学院生も、すでにJICA派遣の協力隊員(考古学)として2011年7月よりティカル入りしており、プロジェクトに主要調査員として参加する。
調査対象地区は、「北のアクロポリス」とよばれる都市ティカルの中核地帯である。マヤ考古学では、19世紀は探検の時代、20世紀は発掘の時代、そして21世紀は保存の時代と位置づけることができるため、当然、世界遺産ティカルの「保存」と「活用」がメインテーマになろう。しかし、もちろん北のアクロポリスおよびその周辺部の学術的発掘調査も企画しており、グァテマラ政府から認可を受けている。学術的に、テオティワカンと古典期前期ティカル王朝の関係は、個人的に特に興味のあるテーマの一つである。マヤ研究ではしばしばそうなのだが、従来、この問題はマヤ碑文の解読結果という側面からのみ推測されている面が多いと感じている。著名な碑文解読家が我々の前に描いてみせるシナリオは、圧倒的な迫力をもっている。しかし、それらの復元も考古学的な裏づけを得なければ具体的な歴史にはならない。定説ではテオティワカンの支配者と目されている「投槍フクロウ」という人物と、マヤ地域へ派遣されたとされる軍司令官「シヤフ・カック」の話は、はたして本当なのであろうか(『古代マヤ王歴代誌』参照)? また、カラクムルとティカルの覇権争いの話、その脈絡で語られる7世紀以前のティカルの「暗黒時代」の話は本当なのであろうか? ティカルの発掘調査によって、未だ知られていないティカル自身の、ひいてはマヤ文明全体の歴史をかえる新たな資料が期待できると考えている。そのために、発掘調査では未発掘の建造物5D-35を始め、北のアクロポリスの未発掘部に焦点をあてたいと考えている(写真)。

図2:北のアクロポリス(撮影:中村 誠一)
【初出】
中村誠一 2012「ティカル計画」
『古代アメリカ学会会報 第31号』