1926年生まれ
1963〜66年
1967年頃
1989年
1999年
2006年
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ひとことで言うとまるで「寅年:A型」のモデルのような女性である。
敗戦後の日本社会に起きた全ての現象が雨アラレと降りかかり、どれにも「まともにぶつかって」生きて来たという。
敗戦の「玉音」を「瀋陽」の国民学校で聞かされる。「聖戦」を鼓舞してきた教師として、嘘を教えていたことは衝撃であった。私には『大日本帝国は紙切れ』の値打ちも無く思えた。
侵略戦争の加害者として国外での体験は「平和と反戦」思想を認識し、今日までの『愛・心の豊かな』生活を探求し続けた原動力になっている。
帰国後、某企業で受けた「結核患者に対する全員解雇」は資本家の残虐性を見せ付け、解雇反対闘争に参加する中で『労働者として目覚め』労災職業病の原体験が育った。
幸い我が家に撤収に来た国民党の技術者から『日本人が満州の人民を奴隷にし、麦も石炭も泥棒した』と教えられ『侵略者』であった自分を漸く認めた。
今考えて正にこれは私の「大切な蘇生」だった。父に「帝国臣民を多く産め」と云われ日本に帰国し、普通の労働者なった。
逗子朝鮮人初級学校に勤務して、民族差蔑問題を痛感させられ、『差蔑の深い認識』で思想的に成長したと思う。
母の病気がお灸で治ったのに驚き『人体と云う謎に立ち向かう』決意で鍼灸学校に入学、1970年45歳で開業する。
「脈疹」の化学科を求めて「皮膚電気抵抗値」の研究を始め、以後30年、諸学会で報告し『渦セラピー:カラーセラピー』の理論的根拠を築く。
横浜市内在住の労災職業病患者を中心に「職業病センター」を結成・99年「港町診療所」の設立に関与し理事を続けている。
4年間、老中医を探して上海・南京・杭州などの大学病院を訪ね、「脈疹」を研修する。
『渦セラピー:カラーセラピー』を中国でも報告し、臨床の活用を始め、主婦層を対象に講習会を開催している。
チベット:ラサの『チベット医大病院を訪問』帰国後『チベット佛教を学び』[肉体の病気と心の病気が一つ]であることを認識する。
翌年から「乾季」にはネパールの診療所で、チベット人の医師に学びボランテイア診療に参加する。
現在八十歳
今も溝の口ハリ灸院で臨床し、患者さんとのご縁を大切にしながら『チベット医学の心』を探し続けている。チベット佛教徒である。ホリステイック医学会・専門会員 鳥谷部トシ |