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その日も巽は、仕事をしていた。 もうすぐ日付も変わろうかという時間帯。 巽は0時5分前を示す時計にふと気づいてやれやれ、と肩を叩く。 「…今日はこのまま泊まりでしょうかねぇ…。」 呟いて、洩れるのは疲れた吐息。 残業をして、そのまま庁に泊まることなどほとんどないが、それでもたまにそんな日もあった。 特に今は、年末の忙しさに職員もその多くが残業をしていく時期であるから、課長秘書であり、職員の書類の最終チェックをしている身ともなれば、泊りがけ、というのも致仕方のないことだった。 巽はまだ机の上に残っている書類に視線を落とし、椅子の背もたれに寄りかかるとメガネを押し上げる。 さすがに長時間書類と格闘していると目が疲れを覚えてくる。 そうしてしばし目を閉じ、朝方庁のシャワーを借りるとして、着替えは置いてあっただろうかと考えて、巽は遠くから聞えてくる廊下を歩く小さな足音に目を見開いた。 「…こんな時間に誰が…。」 職員は、2時間前には巽を残して全員帰宅したはずだ。 巽は背もたれから身を起こすと耳を済ませ、近づいてくる足音に部屋の扉を凝視した。 確実にこちらへと近づいてくる足音は、普段聞きなれている誰の足音よりも軽く高い。 けれど、確かに聞き覚えのあるその音に、巽はハッと顔を上げていた。 そうしてその数秒後。 巽のその推測は確信へと変わることとなる。 「たつみおじちゃん…っ!」 「 ちゃんっ!?」 元気よく扉を開け、明るい声と共に部屋へと姿を現したのは、5歳ほどの可愛らしい少女―今さら言うまでもなく、都筑と密の一人娘である だった。 巽は驚愕し、慌てて椅子から立ちあがると の前まで足を進める。 「 ちゃ…。こんな時間に一体なにをしに…。」 巽にしては珍しく動揺した頭では、一度に浮かんだ疑問全てを言葉にする術が見つからない。 こんな真夜中に一体なにをしに来たのか? そしてまた、いくら冥府が地上に比べて安全とはいえ、こんな時間帯に独りでここへ来たとすれば危なすぎる。 さらには、 がここへと来ていることを、都筑と密は知っているのか。 知っているとすれば、一人で をここへと遣すはずはないし、逆に、もし知らないとしたならば、 の不在に気づいた時、特に都筑が一人が大パニックを起こすだろう。 「…はいっ!」 けれど、そんな巽の心配などいざ知らず、 は巽へと満面の笑顔を向けると、後ろ手に隠し持っていた箱を取り出した。 「… ちゃん…?」 の勢いに押され、巽は思わず差し出された袋を受け取り、その中にあるものを確認すると、驚愕に目を見張っていた。 「 ちゃん…。コレは…。」 「お誕生日、おめでとうっ!」 箱から顔を上げ、 へと移された巽の瞳の中に、 の満面の笑みが映し出される。 「 ね、どうしても一番最初に、たつみおじちゃんに『おめでとう』って言いたかったの。」 そうして満足そうに笑う を前に、巽は少なくとも密は のこの行動を知っているのだろうと推測した。 手渡された20センチ四方の箱の中。 中を見ずともわかるその中には、保温された軽い夜食が詰め込まれていた。 きっと、今日も遅くまで巽が残業することを聞いた が、日付変更と共に巽に会いに行くと密に我が侭を言って一緒に作ったのだろう。 密はこういった時、基本的に の我が侭を通してくれるが、都筑が知ればとんでもないことだと反対するであろうから、もしかしたら都筑の秘密裏で動いていたのかもしれない。 「それはね、ひーちゃんと一緒に作ったの。」 巽の想像通り。 「お夜食に食べてね。」と、 はにこにこと笑顔を貼りつけて誇らしそうに巽へ語る。 そうしてもう一つ。 下げていた小さな手提げ袋から綺麗にラッピングされた箱を取り出すと、「はい。」と巽へと差し出した。 「それと、これは、 からたつみおじちゃんへ。」 「… ちゃん…。」 笑顔で手渡してくる のその様に、巽はどうしたらいいかと返事に戸惑う。 「ありがとう。」と微笑めばいいのか。 それとも、いくらなんでもこんな夜中に出歩いたことを咎めればいいのか。 けれど、きっと少なくとも密は承諾済みなのだろうことを考えれば、後者の選択する理由はどこにもないように思える。 「…これ、開けてもいいですか?」 そして巽は、第三の選択肢を選んで優しく微笑む。 「うんっ!」 嬉しそうな の笑顔。 とりあえず今は、小さなこの子供のこの表情を見られたことだけに満足して、巽は丁寧にラッピングされた包装紙を解いていった。 「…ティーカップ…。」 そうして箱から現れたのは、シンプルなデザインの。けれど、とても瀟洒なティーカップ。 コーヒーよりも紅茶派である巽の趣味をよく理解した、お洒落な作りのティーカップだった。 「…たつみおじちゃん…?」 「…これ、 ちゃんが選んだんですか…?」 落ちた沈黙に不安気に翳る の表情を無視して、巽は茫然として口を開く。 「うん…。」 気に入らなかった? 巽のその反応に、 は不安そうに小首を傾げて巽を見遣る。 けれど。 「いえ…。」 巽は小さく頭を振り、 の顔を正面からみつめた。 「すごく、わたしの好みで驚いたんです…。」 そう微笑む巽の言葉に、 の表情が一気に和らぐ。 「ほんとうっ!?」 「えぇ。」 口にした言葉に嘘はなく、巽はにっこりと へと笑顔を向ける。 きっと一生懸命悩んだのであろう の姿を思うと自然、柔らかな笑みが零れる。 また、巽と好みのよく似た密の元で育っているから、子供ながらに趣味のいい を思えば、本当にいい子に育っているものだと微笑ましく思えもした。 「…ありがとうございます。」 巽は微笑み、机の上へとティーカップをそっと下ろすと、再度 の元へと歩み寄る。 そうしてその小さな肩を押すと、 「それでは帰りましょうか。」 送りますよ。 優しい笑顔を に向ける。 けれど。 「それはダメ!」 可愛らしくも怒ったようにキツイ視線を作って は言う。 「 は、たつみおじちゃんのお仕事の邪魔をしに来たわけじゃないのっ!」 きっと巽は、 を家に送った後に再度閻魔庁へと戻って仕事をするつもりなのだろうからと、 は言外でそう言って、数十センチ以上も上にある巽の顔を睨みつける。 「 は一人で帰れるから。」 「ですが、 ちゃん…。」 こうやって、一度言い出したら引かないところは都筑譲りのソレであり。 巽はどうしたものかと言葉に詰まる。 まさかこんな小さな子供を で帰せるわけはない。 そう思えば、よく密がこんな夜中に を一人外出させることを許したものだと困惑しかけ、巽は意識を へと戻した。 「でもね、 は、たつみおじちゃんに無理して欲しくはないの。」 ふいに落とされた視線と声色。 「… ちゃん…?」 弱くなったその声の調子に、巽は数度目を瞬かせる。 「本当は、このままお家に帰ってゆっくり休んで欲しいの。」 そこで は「でもね。」と続けて顔を上げ、一生懸命さが伝わってくるような表情を称えて口を開いた。 「たつみおじちゃんがそーいう性格だって、 はわかってるから…。だから…。」 だから、せめて巽の負担にはなりたくないのだと、そう自分をみつめてくる の瞳に、巽は大きく肩を落としていた。 「…わかりました…。」 親子2代に揃って弱いのは今さらの事実だ。 巽は嘆息し、 の頭へぽんっ、と軽く手を置いた。 「差し入れ、ありがとうございました。」 これでまた仕事をする気が出ます。 巽はそう笑顔を向けて、小さな の背中を押す。 「せめて玄関まで見送るくらいはいいでしょう?」 そうして優しく窺いを立てれば、 は「うん!」と元気いっぱいに頷いた。 「たつみおじちゃんっ!」 冬のこの寒さと。真夜中の暗闇を消し去ってしまえそうな の笑顔と明るい声。 「お誕生日、おめでとう!」 再度巽に向かってそう言って、トタトタと閻魔庁前の桜並木へと走り出した の姿に手を振って送り出して。 巽は、ふぅ〜、と小さく嘆息した。 「…黒崎くん。」 の姿は、もう完全に視界からは消えているから、この声が へと届くことはまずないと言っていい。 「…黒崎くん。そこにいるのでしょう…?」 巽は視線を動かさぬまま、しばらく前から感じていた気配に向かって声をかける。 すると、音もなく巽の足元へと影が指して、 「…巽さん…。」 申し訳なさそうな声と共に、巽の予想通りの人物がそこへと姿を現した。 「…すいませんでした…。」 大きく肩を落とす巽に、密は謝罪の言葉を投げかける。 を、こんな夜中に巽の元へと行かせてしまったこと。 例え短時間であったとしても、忙しい巽の時間を邪魔してしまったこと。 その一言のセリフには、多くの謝罪が込められている。 「…全く、最初は ちゃん一人かと思って本当に驚いたじゃないですか…。」 「すいません…。」 嘆息混じりに呟いた巽に、密は再度頭を下げる。 に巽に差し入れに行くと我が侭を言われた時から、 に気づかれないようそっとその後をつけていくことは決めていたものの、巽に心配をかけてしまったかと思うと胸が痛む。 子供可愛さの所業だとしても、巽にはいい迷惑であっただろう。 「…謝罪はいいですけど、いいんですか?」 ちゃんを追わなくて。 すでに消えた影を視線で示して巽は密に問いかける。 けれど密は肩を竦ませ、 「 には都筑がついてますから。」 どこかおかしそうに苦笑した。 「…都筑さんが…。」 「えぇ。」 密が の後についてきたのならば、その時点で都筑を誤魔化すことなど不可能だ。 けれど、よくあの都筑が の外出を許したものだと目を見張る巽に、密は仕方なさそうに再度苦笑した。 「オレも昔、よく都筑に夜食を持っていっていましたからね。」 どんなに子供が可愛くても、人のことを言えないのだと密は笑う。 そう思えば、二人がかりで を見守るその包容力を思い、巽は自然目許を緩めて密を見遣った。 「大変ですね。」 きっと都筑は、 の望みを密から聞いて猛反対しただろう。 そう考えると、それを説得した密の苦労が忍ばれて、巽も小さく苦笑する。 けれど、そんな都筑を説得させ、二人がかりで を見守り、この後は に気づかれないように振り舞うのだろうことを思えば、密の「強さ」というものを実感する。 なににおいても強いは、いつだって巽の目の前に立つこの少年だった。 「じゃぁ、オレもそろそろ帰りますね。」 都筑の機嫌を取らなくちゃならないし。 そう言って背を向けた密の姿を巽は見送る。 なにもこの計画に対して都筑が心配をしているのは、 の安全だけではないのだろう。 いつまでたっても密が目の届く位置にいなければ落ちつかない都筑のことだ。 今ごろ の後を追いながらも、残した密へと後ろ髪を引かれる思いをしているであろう都筑を思えば、本日何度目かわからない溜め息が口から零れる。 「あ。そうだ。」 数歩歩いて、密がふと気づいたように振り返る。 「誕生日、おめでとうございます。」 仕事、無理しないで頑張ってくださいね。 そうして穏やかに口にされたその微笑みに、巽は小さく目を見張る。 「…気をつけて帰ってくださいね。」 そして巽は、密にそんな言葉しか返すことができなかった。 続く残業に疲れた巽に、笑顔と元気を与えに来てくれた の笑顔。 そしてまた、決して重くない優しさを送ってくれた の小さな手。 それを思えば、 は本当に都筑と密の子供なのだと実感する。 「…さて。もう少し頑張りますかねぇ…。」 そうして巽はそう呟いて。 軽くなった足取りで、庁の中へと戻っていった。
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