渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」(2002年12月)

佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」(2002年4月)

★渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」(2002年12月) <『ポリティーク』Vol.5(ブック・カタログへ)>
 教育基本法改正が、まじかに迫っている(2004年の国会に上程される可能性が高まっている)。
渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」は、教育基本法改正にいたる経緯とその狙いをわかりやすく解説した論文である。
<教育基本法改正にいたる経緯>
 この論文を読むと、教育基本法改正が、一部の政治家や右翼勢力による単なる復古的な動きではないことがわかる。渡辺は、「教育改革国民会議」(注1)の議論から、「新自由主義派」と「権威主義派」の存在を指摘する。新自由主義派とは、現在の教育体制では「エリートも先端技術の開発能力も育っていない」ことを不満とし、「教育の格差化を一層スピードを上げて実施し徹底する」(217頁)ことを主張する人々のことをいう。一方、権威主義派とは、しつけ教育や道徳教育の徹底、奉仕活動の導入などによって、いじめや不登校といった「教育荒廃」の解決を図るべきとする人々のことをいう。一般には、権威主義派の方が主流に思われがちだが、渡辺によれば、教育改革国民会議の主流はむしろ新自由主義派であった。
 ところで、教育改革国民会議は2000年12月に最終答申を出して解散するが、それがすぐ現在の教育基本法改正につながったわけではなかった。文部科学省が改正にかならずしも積極的でなかったからである。渡辺はその理由を次のように述べている。「基本法の理念は確かに気にくわないものであったが、文科省の教育行政に大きな障害となってきたわけではなかった。……第二に、何よりこれに手を付けることは、戦後教育体制の根本的再編を企てる試みとして、大きな反発と警戒を起こさせることは必至であ(った)」(219頁)。
 しかしその後、文部科学省は教育基本法改正を積極的に推進する立場に転換。2001年11月、遠山文部科学大臣は教育基本法改正を中教審(注2)に諮問することになる。渡辺はその理由について、基本法改正により権限を拡大できるとする文科省の判断転換があったことを指摘している。改正教育基本法に後述する仕組みを盛り込むことによって、いちいち国会審議を経ることなく文科省が独自に教育行政について重要な決定、変更をおこなうことが可能となるからである。
 このような経緯のもと、戦後はじめて、教育基本法改正が現実の政治日程に乗ることになった。
<教育基本法改正の内容>
 上でみた経緯を反映して、教育基本法改正は、三つの勢力の考えを反映したものとなっている。
 教育基本法改正の第1の柱は、教育の格差化を一層スピードアップして進めることである(新自由主義派)。新自由主義派は、これまでの全員横並びの競争を、コスト的に過剰あるいは非効率であると判断している。そして新自由主義派は、公教育をスリム化し、先端技術の開発やエリート養成に重点投資すべきと主張している。現在、学習指導要領の3割削減、義務教育の国庫負担の見直し(=公教育のスリム化)、学区制の廃止による学校間競争と淘汰の促進、国立99大学の再編・淘汰(=徹底した序列化、重点投資)などが実施、提案されているが、改正法は、こうしたことを理念的に正当化し、その一層の促進をはかることを狙っている。
 なお新自由主義派は、こうしたことをスピーディーにおこなうには、学校組織をトップ・ダウン式に改変することが必要であると考えている。すでに学校への経営的視点の導入、教職員会議の諮問機関化、教員の人事考課の導入、指導力不足教員対する研修制度の導入などが実施、提案されているが、改正法ではその正当化と一層の促進が狙われている。 (公教育のスリム化については次に取り上げる佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」も重要な分析をおこなっている)
 教育基本法改正の第2の柱は、社会統合の破綻(青少年の凶悪犯罪の増加、いじめ、不登校など)に対処した、しつけ教育、道徳教育の強化、奉仕活動の義務化、問題児の排除などである(権威主義派)。なおこの延長線上に、ナショナリズムや愛国心の教化といった問題があるが、渡辺は、法案があまりに復古的に見られることへの危惧なども在り、その扱いはまだ決まっていないと述べている。
 教育基本法の第3の柱は、文科省の権限拡大である。文科省は、改正・教育基本法に「教育新興基本計画」の策定・実施を盛り込むことで、文科省の権限を一気に拡大しようと狙っている。この基本計画は、中長期の教育目標をきめるものであるが、他の基本法同様、関係審議会の議を経れば、国会審議を経ることなく、文科省が自由に策定することが可能なものになると見られる。教育基本法改正により、文科省は、教育行政においてほとんどフリー・ハンドともいえる権限を手に入れようとしているのである。
 現在、このように重要な内容を含む教育基本法の改正がまじかに迫っているというのに、マスコミの反応はほとんどない。そのような中、渡辺の論文は、基本法改正を考えるうえで重要な情報と、議論のたたき台を提供しているように思われる。

(注1) 教育改革国民会議
 2000年3月、小渕首相が設置した私的諮問機関。小渕死去にともない、おもに森首相のもとで活動。2000年12月に最終答申を出して解散した。最終答申は、習熟度別学習、中高一貫校の設置、教員への人事考課の導入、小・中・高校での道徳教育強化、奉仕の義務化、問題児童の排除などとともに教育基本法の改正を提案している。
(注2) 中教審
 文部科学大臣の諮問に応じて、教育振興、生涯学習、スポーツ振興などに関する重要事項を調査審議し、文部科学大臣に意見を述べる審議会。

佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」(2002年4月) 『現代思想』 Vol.30-5(ブック・カタログへ)
 佐藤学(教育学者)と斎藤貴男(ルポライター)が対談形式で、新自由主義的な教育改革―教育の公的な義務から私的なサーヴィスへの転換―の問題点を論じたのが佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」である。
 かれらは対談でさまざまなことを論じているが、ここでは渡辺論文との関係で、とくに新自由主義派(=公教育のスリム化)の背後にあるおそるべき差別思想について触れた部分と、格差化のスピードアップについて触れた部分を紹介したい。
 佐藤学は、公教育のスリム化を唱える人々の考えを次のようにまとめている。
 「人間には生まれながらに能力の差異があるのだから無駄な金は使うなという論理ですね。資金は有効なところに投資せよと」「現在の学校教育の内容は三割の子供にしかわからない、七割は理解できない。…解りようがない七割の人間に難しい教育をする必要はないではないか、要するに、三割の有能な人間が社会を担い、後の七割の人間は有能な三割の人たちに支えられればいい。この論理で教育システムを二分すべきだと言う議論です。露骨な差別の論理ですが、受験体制から子供たちを解放してあげますよという語り方で登場したんです」(75頁)。
 ちなみに対談相手の斎藤貴男は、『機会不平等』(ブック・カタログへ)という本で、日本の財界、教育界のトップが優生思想―わからない子供に無理に教える必要はない―をあからさまに語る現実を明らかにしている。ちなみにこれは、わかる子とわからない子を、単なる個性の違いとして等しく扱おうというものではなく、両者を根本的に異なるものとして扱っていこう―そのような社会のあり方を自然なものとして受け入れていこう―という考えである。
 そして佐藤は、新自由主義教育は「二割のトップエリートによって国際競争をやって、後の八割はそこにパラサイトするような国を作ろうとしている。もっと言うと、グローバリゼーションによって国内に第三世界が作られ(ようとしている)」(77頁)と述べている。
 ところで先に見たように、新自由主義派は、日本の教育は横並びで一層の競争化が必要だと主張している。しかし対談の中で、佐藤は、先進国で日本ほど多様化、能力主義が徹底している国はないとして、新自由主義派を批判している。少し長いが引用したい。
 「日本の教育は画一的だという思い込みがあるんです。しかし世界に日本ほど多様化した学校は存在しない。日本ほど能力で子供を振り分けている学校も存在しません。最近では習熟度別指導が叫ばれ、日本は平等画一主義で、能力差に応じた教育はタブーになっていると言うけれども、実は日本のように能力差の教育が徹底した国は存在しませんね。塾のように能力別編成をやっている教育は世界のどこにもありません。高校は入学試験で能力別に編成されていて、大学さえそうでしょ。そんな教育システムは世界にありませんね。英語圏で見れば、高校入試がないから高校教育までは全く平等です。ヨーロッパの場合は、進学時に中学の試験はありますが、しかし職業高校に行くのか普通高校に行くかの基準点があるのであって、学校が能力別に編成されているわけではありません」(76頁)
 これは日本の教育改革が、欧米教育(とくにエリート教育)へのキャッチ・アップをほのめかしながら、実際には欧米にそのようなものはなく、結局は、これまで日本が追求してきた能力主義の一層の徹底がおこなわれるに過ぎないことを示している(日本的能力主義の一層の徹底)。そもそも飴と鞭で競争させればいい結果がでるという発想は、豊かな社会の発想ではなく、キャッチアップ型社会の発想である。そんな発想からまったく逃れていないところで教育改革論議がなされ、大きな反対もないまま、これから数十年の道筋がつけられようとしている。これが、この社会の限界なのであろう。

(参考)
 佐藤学は教育学者。斎藤貴男は元新聞記者のルポライター。斎藤は、日本における階層格差の広がりをテーマとした『機会不平等』で、日本の財界、教育界に広がる優生思想を明らかにしている。

ブック・カタログはこちら
★渡辺治「いまなぜ教育基本法改正か?」(2002年12月)
       所収雑誌:『ポリティーク(特集 開発主義国家と「構造改革」)』(Vol.5):
pp.212-230
★佐藤学・斎藤貴男「教育はサーヴィスか」(2002年4月)
       所収雑誌:『現代思想(特集 教育の現在)』 (Vol.30-5)
:pp.72-91
斎藤貴男 『機会不平等』(2000年) 文藝春秋

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