<パレスチナ基礎知識>

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 パレスチナ自治区とイスラエル入植地
 パレスチナ難民
 パレスチナ・イスラエル略年表

 

ガザ地区     
ヨルダン川西岸地区
現イスラエル   

 

ヨルダン川西岸地区の
  パレスチナ自治区とイスラエル入植地  

 98年5月現在、ヨルダン川西岸地区における「パレスチナ自治区()」の範囲と「イスラエル入植地()」の位置は右図の通りです。

 1968年の第3次中東戦争でイスラエルはヨルダン川西岸地区とガザ地区とゴラン高原を占領しました。
 93年のオスロ合意とそれに続くパレスチナ暫定自治協定によって、かつての占領地の一部からイスラエル軍が撤退し、パレスチナの暫定自治が始まりました。しかし、ヨルダン川西岸地区においてはその範囲はほんの一部に過ぎません。
 97年秋までに追加撤退するはずでしたが、イスラエルはこれを実行していません。98年に入ってからアメリカの仲介によって会議がもたれ、西岸地区からイスラエル軍が撤退する範囲について、イスラエルは9%を、パレスチナは30%を主張し、アメリカは13%という案を提示しました。結論はまだ出ていません。

 自治区からイスラエル軍は撤退しました。しかし、自治区の外での入植地建設は今でも続いています。また、地図を見ての通り、自治区は何ヶ所にも分断されています。しかも自治区の外側をイスラエル軍が取り囲んでいて、しばしばイスラエル軍は自治区を封鎖します。人々が『巨大な牢獄にいる』ような状況に置かれているのもまた現実です。

パレスチナ自治区
イスラエル入植地
東エルサレム  

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パレスチナ難民

   地域    難民の数
レバノン     387,043人
シリア      401,185人
ヨルダン    1,679,623人
ヨルダン川西岸  626,532人
ガザ       878,977人
  合計    3,973,360人
    (02年6月末現在)
 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の統計によると、同機関に登録されているパレスチナ難民の数は右の通りです。

 1948年以前には、現在のイスラエル・ヨルダン川西岸・ガザをあわせたところがパレスチナと呼ばれていました。ここで言うパレスチナ難民とは、48年にイスラエルが建国されたことによって住んでいる土地を追われ、周辺地域に逃れた人とその子孫のことです。当時難民となったのは、70万人から100万人といわれていますが、レバノンなどには未登録の難民もかなりの数がいるということです。
 その後、67年の第3次中東戦争(この時、西岸とガザがイスラエルによって占領された)でも多数の難民が発生しましたが、その人々はこの数には含まれていません。

 現在、全世界には約500万人のパレスチナ人がいるといわれています。この中には、イスラエルが建国されたときもその地にとどまり、その後イスラエルの国籍を得た約70万人の人々、48年以前からヨルダン川西岸やガザに住んでいて長くイスラエルの占領下に置かれた人々、あるいは欧米に移住した人々も含まれています。

 国連は、パレスチナ難民に対して元の居住地に帰る帰還権を認め、また帰らない場合でも財産などの保証を認めていますが、イスラエルはこれを拒否しています。

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パレスチナ・イスラエルの略年表

1947年11月 国連パレスチナ分割決議採択
 48年 5月 イスラエル独立宣言・第1次中東戦争勃発
 67年 6月 第3次中東戦争勃発・イスラエルがエルサレム旧市街,
      ヨルダン川西岸,ガザ地区,ゴラン高原を占領
 82年 6月 イスラエルがレバノンに侵攻
 87年12月 インティファーダ(抵抗運動)始まる
 91年 1月 湾岸戦争に突入
 93年 9月 PLOとイスラエルが相互承認(オスロ合意)・
      パレスチナ暫定自治協定調印
 94年 5月 ガザ・エリコ先行自治協定調印
 95年 9月 暫定自治拡大協定調印
 96年 1月 パレスチナ評議会選挙実施

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